音楽が飽和しているということ

今更こんなこと言うのも何なんですけど、音楽という芸術分野は既に飽和状態にあるということをよく耳にします。そんなことについて一考察。

現在、日本のミュージックシーンは様々なジャンルの音楽で溢れかえっており、また、あらゆる楽曲はそれが最もそう呼ぶにふさわしいジャンルにカテゴライズされています。「君はPOPだ」「お前らはROCKだ」「あなた達にはR&Bグループという称号を与えよう」というように。

人はあらゆる事象を自分の認識できる特定の範疇にすっぽり収めておかなければ不安になってしまうのでしょうか、とにかくジャンル分けという作業は多かれ少なかれ必要になってきます。まあ、音楽の場合はそのような人間の性が現われる顕著な例ですが、だからこそ「○レンジ○ンジはPOPかHIP-HOPかMIXTUREか?」などというとち狂った議論が過熱してしまうわけで。個人的にはどーでもいいことなんですが。

しかし、これだけカテゴライズされうるジャンルが存在するということ、そしてそのジャンルというモノ自体が至極重視されているという現状を考慮すると、それこそ新しい音楽は生まれてこないんじゃないでしょうか。いや、新しい音楽は生まれるかもしれないけど、我々はそれを未知のものとして、且つ喜々として受容することができないのではないでしょうか。これが僕の考える音楽が飽和しているという状態です。

つまり、「俺は〜系みたいなジャンルじゃ括れねーから。俺は新しい音楽やってんだよ!」なんて息巻いてるミュージシャンも、自分の意思とは無関係にリスナーによって既知のカテゴリーに分類されているわけで、公に客観的にオリジナルと認められるような音楽はもう現われないのではないかということ。そこにはプライベートなままではパブリシティーを獲得できない、しかしパブリシティーを得てしまえばオリジナリティーを喪失するというジレンマが厳然として存在しているような気がしてなりません。

そう考えると、音楽を飽和させているのは我々リスナー側なのです。我々リスナーの認知が新しい音楽の誕生を阻んでいるのです!…と言ってしまうのは言い過ぎですが、少なくとももっと寛容な姿勢をもって音楽を楽しんでもいいのではないでしょうか。「AはXというジャンルだ」「いや、AはYっていうジャンルだろ」「んーYなら聞くのかっこ悪いなー」という意味合いの会話はもうやめにしませんか?